ブラジリア内観光に案内してもらえる日。ブラジリアに来てからは毎日、友達の知り合い家族さんにアテンドしてもらいお世話になっています。ありがとうございます。
車で迎えに来てもらい、ブランチへ。お洒落なパティスリー。パンもケーキもチョコレートも揃うここは、大人気のようで賑わっている。
朝のセットはパンのバスケットにヨーグルトやフルーツサラダとジュース、コーヒー付。私はいちじくとチーズのオープンサンドを頼む。ブルーチーズといちじくの組み合わせは鉄板で美味しい。他のパン達もシェアしてもらう。久しぶりにみたキレイなクロワッサン、シードのついた全粒粉パン、バゲットetc 全部美味しかった。
ブラジルで作られている小麦もタンパク量が少ないものが多いらしい。強力は難しいのだとか。そんなところに日本との共通点を少し感じる。
ブラジリア市内観光へ。
ブラジリアはあるイタリア人の神父さんの夢に出てきたお告げによって、ジャングルを切り開いてできた首都の街。街の形のデザインは飛行機の形になっている。こんな面白い形の街があるなんて知らなかった!
縦の東西にのびる機体の部分が主に政治関係の建物たち。省庁、首相官邸、最高裁判所etcが並ぶ。
横の南北にのびる羽の部分が住宅地。キレイに区画分けされて、同じ建物が同じ形で並んでいる。
この日は日曜日。住宅ゾーンの羽の真ん中の道が歩行者天国になる日。ランニング、サイクリング、ウォーキングをする人達で賑わっている。沿道にはマンゴーの木が植えられてらいて、身のなる頃にはみんな採って食べるそう。マンゴー食べ放題いいな。笑 大きなガジュマルも植わっていて、木から垂れてくる根で遊ばせてもらった。またまた島を思い出す。
その次向かったのは、街を作る時に人工的に作られたという湖。乾季には自然と鼻血が出るほどの乾燥になるブラジリアで、この湖があることでいくらかマシになったとか。遠くに見える橋は日本の愛知にある橋をモデルにされたらしい。1時間クルージングもあるが、今回は時間の関係でなし。まわりではイースターが近いので、かわいいウサギのデコレーションがされていた。
ここで吸水休憩。ブラジルでのジュースの選択肢は、いちご(Moranga)マンゴー(Mogo)パッション(Maracujá)パイナップル(Abacaxi)オレンジ(Naranja)が多い。南な感じ。果実しぼりましたっ!!なジュースたち。時折、ファイバーすごくてドロドロでそのままを食べているようなジュースが出てきて喉が潤わないこともあり。笑 私はノンアルカクテルのサンセット(オレンジジュースにイチゴシロップ)甘いけどサッパリ美味しい。
ブラジリアの中心地へ戻り、大聖堂、美術館へ。全て面白い形。遠くに見える劇場もピラミッドみたい。新しい街だからこその建物達も面白い。
三権分立広場へ。国会と最高裁判所と首相官邸に囲まれた広場。ブラジルは裁判所の力が強いらしい。少し前に首相が帰ってきた時に集会が開かれていたから警察多めの限界体制。
写真を撮っていたら雨が降ってきてダッシュで車に向かう。
テレビ塔と近くのお土産屋街。スコールに当たって、上には登れなかった。この時期は雨季の入り口なんです。あそこで雨降ってるねってスコールが目で見えるのが面白い。風が強くなってきたね、そろそろ来るねって読むのが面白い。2時間ザッと降って止むのが、この辺りの雨の降り方らしい。
最後に連れて行ってもらったのがこの街の夢をみた牧師さんの教会。全部の壁がステンドグラスでずっと見ていられる美しさ。青いグラスがキラキラしている様子はプラネタリウムのようにもみえる。もし誰かをブラジリアに連れてくる事があるならば、ここは連れてきたいと思った。
各国の大使館の前をドライブ。街を作る時に国ごとに区画で分け与えたため、ほとんどの大使館が横並びで連なっている。世界中の国々の国旗と名前が並ぶようすに世界旅行にきた気分。
ブラジル最後の夜はシュハスコ。サラダやチーズが並ぶビュッフェ台に、寿司カウンター。お兄さんたちが串に刺した大きな肉の塊を持ってテーブルを回ってくる。いろんな部位のお肉に、チーズを纏わせて焼いた肉、ベーコンの塊etc わからないからきた物片っ端食べてみる。骨付きのお肉が柔らかくて美味しかった。
でも1番は焼きパイナップル。シナモンを纏って焼かれたジューシーで甘いそれはもう。肉でお腹が膨れていたのを忘れる美味しさ。南米で出会ったパイナップルは日本で買うものよりも小さく、柔らかく、芯まで食べられる。このパイナップルも皮剥いてそのままスライスしたような感じ。美味しかったなあ。
ホテルまで送ってもらい、ロビーで少しお話。海外で実際に住むご夫婦のお話を聞かせてもらう。先々に悩む若者たち。笑 国際協力とか、国際交流とか、海外に住むとか…
友達の相談を横で聞きながら響いた言葉。
一回英語で泣け。
英語で泣きたい、泣きながら乗り越えたい。日本で自分だけじゃ作れなかった、入れなかったその環境に入りたかった。ずっとずっと。やっぱり学校に行くが1番揉まれると言っていたけれど…ですよね。って気持ちだけれど、違う国で暮らすをもうすぐできそうな今。今の私はそこから。
あとは自分のプライオリティ。
日本人として日本語で世界で住むことを選ぶのか、言葉を乗り越えて違う国の組織に入れるようになるのか。日本はいつでも選べる選択肢だから、一回日本を外して考えた方がいいと。今の身軽なうちにしておきなと。なるほど…友達にかけられた言葉が私にも沁みる。
長く一緒に海外を目指してきたお2人は、あの時はこうだったね、こんな気持ちだったねと経験談を全て共有していて素敵なご夫婦でした。
そんな話を横耳に娘ちゃんと言語アプリで遊んでいた私です。
なんとなく日本に戻るのが前提にあった、なんとなく日本から離れられなかったけれど、一回考えるのをやめてみよう。
自分の以外で生きる想像をしてみよう。もし暮らしていけるのならば、世界のどこでもその場所で生活してみたらいい。
きっと私は大人数のダイバーシティに入りたい。言語関係なく他の国の人とコミュニケーションをとりたい。だから外に外に出ようとしてる。学生の時からずっと。行きたいと思っていた学校もやっぱり諦めなくていいか。見えないライフステージを気にするよりも今できる事を。
長い長い足踏みを破りたい。言葉のコンプレックス。できないを受け入れるのか、できるようになるのか。できるようになりたい。最終、何をやりたいかはわからん。私のスタートラインは言葉を使えることなんだ。まずそこに立たないと見たいと思っている世界は見えてこないんだろうね。と思った夜でした。
今回の旅
神奈川→大分→大阪→パラグアイ→ブラジル→アメリカ→カナダ